顎関節症は歌や発声に影響する?ボイトレとの関係を科学的に解説

更新日:10月8日
はじめに
声や歌については、文章で説明すると、
どうしても分かりにくくなってしまうことがあります。
僕自身も、ボイトレや声について新しい知識を学んだとき、「なるほど」と頭では分かっても、実際に声を出してみるとすぐにはできないことがたくさんありました。
だからこそ、この記事では難しい内容もできるだけ分かりやすくまとめています。
すべてを一度で理解する必要はありません。
「そういう考え方もあるんだな」「これ、自分にも当てはまるかも」
そんなふうに、皆さんのボイトレや歌の練習の何か一つのヒントになれば嬉しいです。
そして、文章を読んでも「自分の場合はどうなんだろう?」と思ったら、ぜひ体験レッスンで直接質問してください。
実際に声を出しながら、一緒に確認していきましょう。
「歌うと顎が痛い」「高音で顎に力が入る」
歌っていると、
顎が痛くなる
高音になると顎に力が入る
口を大きく開けると顎が痛い
発声すると顎が疲れる
歯を食いしばってしまう
このような悩みが出る方がいます。
歌唱では、声帯だけを動かしているわけではありません。
顎、舌、唇、舌骨、喉頭など、さまざまな器官が協調して動きながら、声や言葉を作っています。
そのため、顎に痛みや動かしにくさがある場合、歌唱時の口や顎の動きに影響する可能性があります。
ただし、
「顎関節症があると、必ず発声が悪くなる」
わけではありません。
また、
「歌うことが顎関節症の原因になる」
とも、現在の研究だけから断定することはできません。
この記事では、顎関節症と歌唱・発声の関係を、現在確認できる研究をもとに整理していきます。
顎関節症(TMD)とは?
顎関節症は、英語では
Temporomandibular Disorders(TMD)
と呼ばれます。
TMDは、一つの病気だけを指す言葉ではありません。
顎関節や、顎を動かす筋肉などに関係する複数の状態をまとめた名称です。
代表的な症状には、
顎の痛み
顎周辺の筋肉の痛み
口を開けにくい
顎が動かしにくい
顎関節の音
顎が引っかかる
顎がロックする
などがあります。
ただし、顎関節から音がするだけで、必ずしも顎関節症というわけではありません。
TMDにはさまざまなタイプがあり、関節そのものの問題だけでなく、顎を動かす筋肉に関係する問題も含まれます。
そのため、
「顎が鳴る=顎関節症」
「噛み合わせだけが原因」
のように単純化することはできません。
顎関節症と歌唱には関係がある?
ここは研究結果を慎重に見る必要があります。
一見すると、
「歌う人は顎をたくさん使うから、顎関節症になりやすいのでは?」
と思うかもしれません。
実際に、歌唱とTMDの関係を調べた研究があります。
しかし、結果は単純ではありません。
2019年の研究では「歌手だからリスクが高い」とは言えなかった
2019年に発表された研究では、50の音楽団体に所属する1,470人の音楽家が調査されました。
その中には306人のボーカリストが含まれていました。
自己申告によるTMD疼痛は、
ボーカリスト:21.9%
対照群:12.0%
でした。
この数字だけを見ると、
「ボーカリストのほうがTMDが多い」
ように見えます。
しかし、年齢や性別などの要因を考慮して分析すると、
ボーカリストであること自体は、TMD疼痛や顎関節音の独立したリスク指標ではありませんでした。
一方で、口腔習癖や日々の練習時間など、身体的負荷に関係する要因との関連が確認されています。
つまり、
歌手にTMD症状がみられることはある。
しかし、
「歌うこと自体がTMDを引き起こす」と、この研究からは言えない。
ということです。
2024年の研究ではどうだった?
2024年には、18~45歳の女性288人を対象に、
プロ歌手
趣味で歌う人
歌わない人
を比較した研究も発表されています。
TMD関連症状は、
プロ歌手:42%
レクリエーション歌手:31%
非歌手:25%
と、プロ歌手で多く報告されました。
また、プロ歌手では、
顎の動かしにくさ
顎関節音
顎の痛み
などが非歌手より多く報告されました。
ただし、TMD全体の割合については、3群間の差が明確な統計学的有意差には達しておらず、研究対象も18~45歳の女性に限られています。
さらに、この研究は自己評価による観察研究です。
したがって、
「歌うことがTMDを引き起こす」と証明した研究ではありません。
「歌手は顎関節症になりやすい」と一般化するには、まだ研究が必要です。
顎関節症があっても、歌ってはいけないわけではない
もう一つ興味深い研究があります。
2022年の研究では、機能によって痛みが悪化するTMD疼痛を持つ成人1,467人を対象に、歌う頻度と痛みの関係などが調べられました。
研究では、歌う頻度とTMD疼痛の強さとの間に、明確な用量反応関係は確認されませんでした。
つまり、
「顎関節症がある人は、歌えば歌うほど必ず痛みが強くなる」
と考える根拠も十分ではありません。
ただし、これは
「顎が痛くても無理して歌っていい」
という意味ではありません。
痛みの原因や状態には個人差があります。
そのため、症状がある場合は無理に練習量を増やすのではなく、必要に応じて医療機関で状態を確認することが大切です。
なぜ顎の問題が歌唱に影響する可能性があるの?
ここからは、
研究で直接確認されていること
と、
発声の仕組みから考えられること
を分けて考えます。
TMDでは、顎の痛みや運動制限が起こる場合があります。
一方、歌唱では顎を含む口腔器官を動かしながら、母音や子音を作ります。
そのため、
顎に痛みや運動制限がある人では、歌唱時の顎の運動に影響が出る可能性があります。
これは発声の仕組みから考えても自然です。
ただし、
「TMDが声帯振動そのものを直接悪化させる」
という因果関係が証明されたわけではありません。
ここは分けて考える必要があります。
歌うとき、顎は動いている
歌唱では、顎は単なる「力み」ではありません。
母音や音高などに応じて、顎の開き方は変化します。
歌唱時の顎の動きを調べた研究でも、音高や母音によって顎の動きが変化することが報告されています。
つまり、
「顎を動かさないほうがいい」
という考え方も正確ではありません。
顎は、歌唱に必要な運動の一部です。
「高音=口を大きく開ける」ではない
歌の指導では、
「高音だから、もっと口を開けて」
と言われることがあります。
しかし、
高音=顎を最大限に開く
と単純化することはできません。
歌唱では、
顎
舌
唇
声道
母音
音高
など、さまざまな要素が関係しています。
そのため、
「高音が苦しいから、とにかく口を大きく開ける」
という方法が、すべての人に適しているとは限りません。
一方で、高音になると顎の開きが大きくなる傾向も報告されています。
つまり、
顎を開くこと自体が悪いわけではありません。
必要な運動を、必要な範囲で行うことが大切です。
「顎の力を抜く」とはどういうこと?
ボイトレでは、
「顎の力を抜いて」
という指導がよくあります。
しかし、
「力を抜く=顎を完全に脱力させる」
と考える必要はありません。
顎は、発声や構音に必要な運動器官です。
目指したいのは、
必要な運動を、必要な範囲で行える状態
です。
例えば、
「高音だから顎を大きく開かなければ」
と必要以上に動かしたり、
逆に、
「顎を動かさないようにしなければ」
と顎を固めたりすることがあります。
どちらか一方が正解というわけではありません。
「動かす・動かさない」の二択ではなく、必要に応じて動かせること。
これが大切だと考えています。
顎だけを見ても、発声の問題は分からない
歌唱時の顎を考えるとき、
「顎が硬い」
だけで終わらせないことも重要です。
例えば、
舌に過剰な力が入っていないか
舌の動きを顎で補っていないか
唇の動きを顎で代償していないか
高音になると歯を食いしばっていないか
声量を上げると顎に力が入らないか
顎を固定しようとしていないか
発声中に痛みが出ていないか
などを確認します。
顎は単独で働いているわけではありません。
そのため、
「顎だけを緩める」
よりも、
「顎・舌・唇などが、発声に合わせて協調して動いているか」
を見ることが大切です。
歌うと顎が痛い場合はどうする?
もし歌っているときに顎の痛みが出るのであれば、
痛みを我慢して練習を続けることはおすすめしません。
特に、
顎関節が痛い
顎周辺の筋肉が痛い
口を開けにくい
顎が引っかかる
顎がロックする
痛みを繰り返す
歌っていないときにも顎が痛い
といった症状がある場合は、ボイトレだけで判断しないほうが安全です。
顎関節症が疑われる場合は、歯科・口腔外科など、顎関節の症状を診療できる医療機関に相談してください。
顎関節症をボイトレで治せる?
ここは明確に分けて考えます。
ボイストレーナーは、顎関節症を診断・治療する立場ではありません。
TMDには複数のタイプがあり、症状によって対応も異なります。
そのため、
「顎に力が入っているから顎関節症」
「顎をほぐせば顎関節症が治る」
と判断することはできません。
TMDの治療については、医療機関で評価を受けることが基本です。
慢性TMD疼痛については、2023年のBMJの臨床ガイドラインで、患者教育や自己管理、監督下での顎の運動・ストレッチ、理学療法など、保存的・可逆的なアプローチが重視されています。
ただし、これは慢性疼痛を伴うTMDを対象としたガイドラインであり、すべてのTMDや急性の症状にそのまま当てはまるわけではありません。
ボイストレーニングで確認できること
では、ボイトレには何ができるのでしょうか。
顎関節症そのものを治療することはできません。
しかし、
発声しているときに、顎や口周辺がどのように動いているかを観察すること
はできます。
例えば、
高音になると顎が急に大きく動いていないか
低音では自然なのに、高音になった瞬間に顎の動きが大きくなることがあります。
歯を食いしばっていないか
声を強く出そうとしたときに、顎周辺に過剰な力が入っていないか確認します。
顎を固定していないか
「顎を動かさない」と意識することで、逆に不自然な固定が起こる場合があります。
舌や唇の動きを顎だけで代償していないか
発音に必要な動きを、顎だけで行っていないか確認します。
痛みが出る動きを繰り返していないか
痛みが出ている場合は、「正しいフォームだから続ける」と考えるのではなく、一度立ち止まって原因を確認することが大切です。
内田のボイトレで大切にしていること
僕は、
「顎の力を抜けば声が出る」
「口を大きく開ければ高音が出る」
のように、一つの原因だけで発声を説明することはおすすめしていません。
声は、
声帯振動
呼気
声門閉鎖
声道
舌
顎
唇
音響的条件
運動学習
など、さまざまな要素が関係する複雑な運動だからです。
そのため、
「最初から顎が悪い」と決めつけるのではなく、実際に声を出したときに何が起きているのかを観察すること
を大切にしています。
例えば、
「高音になると顎が固まる」
のであれば、
「なぜ固まるのか?」
を考えます。
音高との関係なのか。
声量との関係なのか。
舌や口の動きとの関係なのか。
発声上の別の課題を補うために顎が動いているのか。
あるいは、その動きがまだ十分に学習されていないのか。
こうした可能性を一つずつ確認していきます。
「顎を緩める」より「必要な動きを選べる」
ボイトレでは、
「力を抜く」
という言葉がよく使われます。
しかし、僕は、
「力を抜くこと」そのものを最終的な目標にしないほうがいい
と考えています。
必要なのは、
必要なときには動き、必要のないときには過剰に動かさないこと。
そして、自分の声に合わせて運動を調整できることです。
これは顎だけの話ではありません。
舌、唇、喉頭、呼吸などにも同じような考え方があります。
歌うと顎が痛い人が確認したいこと
もし「歌うと顎が痛い」という場合は、まず次のようなことを整理してみてください。
① 歌っていないときにも痛い?
日常生活でも痛みがある場合は、ボイトレだけで判断しないほうが安全です。
② どの音域で痛くなる?
低音なのか、高音なのかを確認します。
③ どの母音で痛くなる?
「あ・い・う・え・お」で違いがあるのかを確認します。
④ 口を開けたときだけ痛い?
開口動作との関係を確認します。
⑤ 声量を上げたときに痛くなる?
大きな声を出そうとしたときに、顎周辺へ力が入っていないか確認します。
⑥ 疲れてくると痛くなる?
練習時間との関係も確認します。
こうした情報は、
「顎が悪い」
と決めつけるためではありません。
どの条件で症状が出るのかを整理するための情報です。
まとめ|顎関節症と歌唱は切り分けて考える
顎関節症(TMD)と歌唱には、関連を示す研究があります。
一方で、
「歌うことが顎関節症の原因になる」
と現在の研究から断定することはできません。
2019年の大規模研究では、ボーカリストでTMD疼痛が多く報告されたものの、年齢や性別などを考慮すると、ボーカリストであること自体は独立したリスク指標ではありませんでした。
2024年の研究では、プロ歌手でTMD関連症状が多く報告されましたが、対象は18~45歳の女性に限られた観察研究であり、歌唱がTMDを引き起こす因果関係を証明したものではありません。
また、
「顎関節症がある=歌ってはいけない」
とも一律には言えません。
大切なのは、
顎関節症そのものの問題
と
歌唱時の顎・舌・唇などの運動の問題
を分けて考えることです。
顎に痛みや開口制限などがある場合は、まず医療機関で状態を確認する。
そのうえでボイトレでは、
高音で顎を過剰に動かしていないか
顎を必要以上に固定していないか
歯を食いしばっていないか
舌や唇の動きを顎で代償していないか
痛みを我慢して発声していないか
などを確認する。
このように、医療とボイストレーニングの役割を分けて考えることが大切です。
そして、
「顎の力を抜けばいい」
「口を大きく開ければいい」
と一つの方法に決めつけるのではなく、
その人が実際にどのように声を出しているのかを観察し、必要な動きを探していく。
これが、内田のボイトレで大切にしている考え方です。
※この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、顎関節症(TMD)の診断・治療を行うものではありません。顎の痛み、開口障害、ロックなどの症状がある場合は、歯科・口腔外科などの医療機関にご相談ください。
参考文献
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National Institute of Dental and Craniofacial Research (NIDCR). Temporomandibular Disorders (TMD).


